+++Live with me? 〜夜明け前〜 9+++
ただ只管、暗闇の中に取り残されていた。
手を伸ばしても、喉が裂けそうなほど声をあげても、振り向かない姿に幸は崩れ折れた。
どのくらいそうしていただろうか。
その場で呆然とする自分の名前を誰かが呼んでいることに幸は気がついた。
それと同時に触れる暖かな腕。覚えのあるその腕に、幸は縋った。
けれど、これは夢なのだ。
もう出て行ったあの人が、自分の元へ帰ってくることなど有り得ないのだから。
『夢でござるのか…』
それでも自分を抱きしめる腕は暖かくて、幸は夢でもいいからこのままでいさせて欲しいと願い、瞳を閉じた。
「……ぅ……」
自分が零した声で幸は目を覚ました。
重い瞼を抉じ開け、ぼんやりとした視界のまま辺りをゆっくりと見回す。
薄闇の中、ベッド際のスタンドライトだけが煌々と灯っている。
見覚えのあるそれと、部屋の様子にここがどこなのか幸はようやく理解し始めた。
(…どうして、某はこの部屋に……?)
ずっと足を踏み入れることを禁じていた、政宗の部屋に幸は寝かされていた。
その事実に混乱が募ってきて、幸は少し慌てて身を起こした。その拍子に指先に触れた何かにびくっと身を竦ませ、視線を落とした。
まるで、信じられなかった。
一体自分が眠っている間に何が起きたのか、今自分が見ている光景こそが夢ではないのかと幸は目を疑った。
政宗が、自分の傍らに崩れ折れるようにその身を伏せて眠っていた。
「……ま、さむね、どの……」
幸は恐る恐る手を伸ばし、指先が触れる寸前で突然止めた。
触れてしまえば、幻のように消えてしまう。
そんな思いが急に幸の心に沸き起こったからだった。
夢でも政宗が其処にいるなら。
そう思いかけ、幸は頭を振った。
このままでは何も変わらない。ずっと押し黙ったまま、篭ったまま、それで逃げるのは駄目だ。
すう、と深く息を吸い、そっと手を伸ばした。
覚えているよりも、少しごわついた髪の感触が指先に触れた。
(あぁ…、やはり疲れておられるのだな…)
目を眇め、そっと懐かしむように何度も指を通した。
それでも幻のように政宗の姿が消えることはなく、幸はその指を頬へ滑らせた。
変わらない温もりが幸の指先に伝わった。
じわり、と目の奥が熱くなり視界が歪んだ。
とめどなく溢れる涙がほろり、と頬を伝った瞬間、空気が揺らいだ。
「……ん………」
小さな呻き声をあげ、政宗がゆっくりとその身を起こす。
幸はその様を歪んだ視界で見つめていた。
夢じゃない、目の前に、本当に政宗がいる。
たったそれだけのことなのに、幸は胸が痛くなるほど嬉しくて、ぼろぼろと涙を零した。
「……幸…?…あぁ…目、覚めたのか……」
政宗が緩慢な動作で手を差し伸べる。
幸はその手をそっと掌で包み込むと引き寄せ、その手をそっと頬に押し付けた。
零れた涙が政宗の掌と幸の頬の間に染み込んだ。
「…泣いてる、のか…幸…。泣くなよ…、もう離れねえから…な」
少し朦朧としたままの政宗は、泣き濡れる幸の頬をもう片方の掌で拭いながらその顔を見上げていた。
次第に意識がはっきりとしてくると、幾度か瞬きを繰り返し、目の前の状況に漸く気が付いた。
「……幸…?…Ah……」
自分の掌が触れている幸の温もりに、感嘆の息を吐くと政宗は身を起こしその体を引き寄せた。
懐深く抱き寄せ、今、側にある幸の存在を確かめるように腕に力を込めた。
肩口に顔を埋め、気を抜くと震えそうになる声を必死で押さえつけながら、政宗は口を開く。
「幸…ッ、すまなかった……、俺が、アンタをあんなに傷つけて……!」
「…まさむねどの、まさむねどの…ッ」
その背に縋りつくように幸はしっかりと腕を回し、胸元に頬を押し付けてぼろぼろと涙を流した。
幾度となく思い出そうとした温もりが、今、幸を包んでいた。
「……幸…、俺はアンタが好きだ…ずっと、アンタを傷つけたくなかった。
傷つけたくなくて、アンタから離れて…。
でも、間違ってたんだな……。傷つけたくないなら、アンタの側にいてやるべきだったんだ。
全て、包み隠さずアンタに伝えるべきだったんだな。
………俺の話、聴いてくれるか…?」
二人寄り添ったまま、政宗はそっと幸に囁いた。
許されなくても当然だと思いながら。それでも、一縷の願いを込めて。
「…っ、く…ま、さむね、どの…ぉ…」
幸はもう何も答えることが出来ず、ただ小さく何度も頷いては縋りつくしか出来なかった。
泣き疲れ、ふつりと眠りに落ちた幸を抱えこみ政宗は久々に穏やかな気分で眠りの淵へと落ちていった。
「……大丈夫、ですよね…」
「当人同士の問題だと言ったであろう…」
早朝。静かなエレベータホールに二つの声が響いた。
少し急ぎがちな足取りでいずこかへ向かう人影たちは、伊達と幸村だった。
一日だけ、という小十郎への約束通り、翌朝自室へと戻る途上だった。
極力、音を立てぬようにドアを開き、部屋へ戻った二人だったが、玄関先に転がる靴を見てまず安心した。
「政宗様……」
「…まだ、わからんだろうが…。儂が見てくる、先に着替えて来い…」
「……はい」
渋る幸村を部屋に押し込み、伊達はそっと二人の寝室の扉を開いた。
「…心配、いらないみたいですね」
「ふん……。散々心配かけおってからに…。儂等の心痛を少しは知ればよいのだ」
「でしたら、伊達様に幸の面倒を見てもらえばよいのですよ、今日一日」
「それはいいな。…苦労すればよいわ」
きらきらと二人の目の前で川面が朝の光で輝いていた。
二人は照り返す眩しさと、それ以外のもので目を眇めた。
「……よかったですね」
「そうだな…」
空は青く澄み切った色を拡げていた。
あと一話だけお付き合いくださいまし。
BGM:
「ALBUM:三日月ロック」 スピッツ
「ALBUM:SMILE」 スガシカオ
「ALBUM:カナシミ」 スネオヘアー
『ばらの花』『ワンダーフォーゲル』 くるり
-08
+Epilogue
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