+++Live with me? 〜夜明け前〜 6+++
一言さえも発せない苦しさを幸は味わっていた。
大きくはない傘に二人で収まって、政宗の肩を雨が濡らしている事を伝えることも、歩くのが速くて今の自分には付いて行く事が辛いことも、何一つ伝えられず、喉元を何かで押え付けられるようだった。
エレベータの中でも政宗は視線を交わそうとせず、思いつめたような表情で床を見つめていた。
薄暗い部屋に辿り着き、促されて室内に入ると安心したのか幸はくたりとソファに身を沈みこませた。
政宗はその姿をちらり、と視界の端で確認すると自室へ姿を消した。
深いため息をつき、幸はまた政宗に迷惑をかけてしまったことを悔やんだ。
只でさえ自分の失言で政宗に不快な思いをさせていたというのに、また自分のことで悩ませてしまったと幸は眉根を寄せた。
暫くそうして考え込んでいるうちに、ふと幸は先日小十郎と会った時のことを思い出した。
自分が招いたことならば、自分で蹴りをつけなければ。
意を決して政宗と話をしようと立ち上がった時、政宗がちょうど部屋から出てきた。
何故か手にボストンバッグを提げて。
「政宗殿、少しお話がござるのでするが…」
「Ah…丁度、俺も幸に言うことがあったな」
訝しみながら、幸が政宗の背中を追う。
「あの、先日片倉殿にお会いして…失礼かとは思ったのでござるが、昔の…」
すると幸の言葉を遮るように、政宗は音を立てバッグを床に落とす。
びくり、と幸がその音に身を竦めると、玄関の一歩手前で政宗が足を止め、振り返らずに告げた。
「もう俺の事は忘れろ」
その言葉はまるで理解できない言語のように幸には聴こえた。
政宗は幸からの反応がなくとも語り続ける。
「俺はこの部屋を出る、もう戻ってくることもねぇ。お前と学校で顔を合わすことはあったとしても俺はもう、
赤の他人だ」
「ま、政宗、殿…?」
幸が政宗に言えたのはたったその一言だった。
政宗はバッグを肩に担ぐと一度も幸を振り返らぬまま、扉を開き、
「……Good bye」
ゆっくりと扉が閉じ、政宗の背中が消えていく。
―――その瞬間。世界が、全てが、消え失せた―――
糸の切れた操り人形のようにくたり、とその場に沈み込むと床に倒れ伏せる。
声も立てず、まるで涙腺が壊れたように幸の瞳から涙が流れた。
その瞳はもう、何も映してはいなかった。
まるで幸せだったあの頃だけを見るように、幸の思考は閉ざされた。
降りしきる雨の中、一台の車が滑り込むように停車する。
中から降りてきた男は迷うことなく建物の中へ入り、エレベータに乗り込むと最上階のボタンを押した。
明かりに照らされた頬に浮き上がる古傷の痕。
――片倉小十郎だった。
辿り着いたフロアにあるのは一室のみ。 もちろん小十郎が用があるのもその場所だった。
雨音だけが聴こえる静かな廊下にカツカツと靴音が高らかに響く。
小十郎はゆっくりとした足取りでそのフロア、唯一の部屋の扉の前に辿り着くとチャイムを一つ鳴らした。
篭った音を上げるチャイム。けれど反応はない。
二度三度と鳴らしても応え(いらえ)のないことに、短いため息を吐くと小十郎は踵を返しかけ、眉根を寄せた。
よく見ると微妙に閉まりきっておらず、手をかけるとあっけなくそのドアは開いた。
物騒な、と思う心と嫌な予感が混ざり合い、小十郎の胸をざわめかせた。
焦る気持ちを抑え、ゆっくりと歩みを進める。
すっかり日の落ちた室内は暗く、光に慣れた目を細めて中を窺った。
ゆっくりと室内を見渡すと、最後に床に視線を落とし……。
「………ッ?!」
思わず、息を呑んだ。
「…真田、幸村…ッ?!」
慌てて駆け寄り、揺さぶっても瞳は虚空を見つめたまま涙を流し、ただ唯一、口ずさむのは、政宗の名ばかり。
最悪の事態が起きたのだと察した小十郎は座り込んだままだった幸を仕方なくその場に寝かせると、慌てて部屋を出る。
政宗を追いかけようと足を踏み出しかけて、その前にすべきことに思い至り、踏みとどまった。
「…どういうおつもりですか、政宗様…!」
苦々しい思いを噛み締めながら、小十郎は待った。
「政宗様…厭な、予感がしませんか…」
「……気のせい、だとは言いがたいな…」
その日の夕刻。伊達と幸村は沈痛な面持ちで自宅への道を急いでいた。
もちろん二人が気に病んでいることなど、今日、学校で倒れた幸のことに違いなく。
気ばかりが急く中、自室があるフロアへ辿り着いた二人を待っていたのは思いがけない人物だった。
「御同室の伊達政宗殿と、真田幸村殿とお見受けいたしますが間違いではございませぬな」
突然掛けられた声に幸村は身構え、伊達は幸村の一歩前に出るとその姿を背後に庇った。
「……誰だ、名を告げぬとは失礼だとは思わぬのか」
自室の扉の前に堂々と立ちはだかる人影に、伊達は警戒の色を濃くしたまま一歩歩み寄る。
人影は軽く会釈をすると、一歩二人に歩み寄った。
「申し遅れました、片倉小十郎と申します。」
「それで、儂等に何の用で其処に立ちはだかっておるのか、問うても?」
小十郎はその問いに頷き、伊達と幸村の表情を確認するとすぅ、と息を吸い込み、二人を見つめる。
「お願いしたき事柄はただ一つ。…政宗様と真田の両人に暫しの猶予を頂きたい」
その言葉に真っ先に反応したのは幸村のほうだった。勿論、二人の間に何かしらのことが合ったことを察してのことだった。
「お待ち下さい、幸は…!」
しかしその先の言葉を制したのは誰でもない伊達だった。
「……一日しか待たん、良いな」
「…忝く存じます」
伊達の言葉に小十郎は深く一礼すると、伊達は物言いたげな幸村を連れてその場を去った。
「政宗様、どういうおつもりですか!今朝の様子も、今日学校で幸が倒れたことも知っておられるのでしょう…?!」
腕を引かれながら幸村は伊達が勝手に決めた事に異を唱えていた。
そんな幸村をエレベータに押し込むと、伊達は幸村の瞳を隻眼で見つめ言い放った。
「儂等が介入してどうにかなるもんではないと、お主自身わかっておるだろう!……あの二人がなんとかせねば、ならんのだ…」
「政宗様…」
伊達にも幸村にも、判ってはいるのだ。結局は政宗と幸、二人が解決するべき問題なのだと。
ただ、その手助けすら出来ない己にお互い焦れているのだ。
「……今は、待つしかない…」
伊達が呟いた一言に、幸村はその身を寄せることで応えた。
自分が書いていて辛い話があります。この話で久々に味わいました。
…でももう少し、あと少しといつも思いながら書いています。
早く幸せな二人が見たいです。
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