+++Live with me? 〜夜明け前〜 4+++

ひやりとしたシーツの感触が触れて幸は思わず身を震わせた。
秋口だというのに酷く冷えた夜。
幸は自分の吐息と降り止まぬ雨音以外に何も聴こえない部屋で一人、蹲っていた。
ベッドに身を横たえても睡魔は襲ってこない。もう一体何日これが続いたのだろうかと、幸は何ともなしに思い浮かべていた。
あの日、突然政宗に言い渡されて理由を問うことも出来ないまま了承してしまったことを幸は後悔した。しかしあの時の政宗の表情を見てしまっては断る事など出来なかった。

あの晩と同じように、酷く思いつめた顔だった。

あの時はそれが一番だったのだと、自分にはそうするしかなかったのだと割り切っても、今一人で魘されているかもしれない政宗を想うと幸は気が気ではなかった。
落ち着かず何度も寝返りを打っては起き上がり、窓の外に目を向ける。
一体何がきっかけでこんなことになったのか。
それを考え込み始めたとき、ふとある日のことを思い出して幸は慌てて机の引き出しを漁った。
結局政宗には渡せずじまいになった一枚の名刺。
「……片倉、小十郎…」
政宗の過去を、知るもの。



次の日の授業終了後、幸は一つの電話をかけていた。
コール音がひとつふたつ鳴り、ぷつりと繋がる音。
幸の携帯を握る手が緊張に思わず堅くなった。
「……もしもし」
「片倉小十郎殿でござるか」
「……誰だ、テメェ」
一気にトーンが下がった声に、幸は違和感を感じて眉を顰めた。
「先日お会いしたはずでござる。…政宗殿と一緒にいた、と申し上げればわかっていただけまするか?」
「政宗様…?!……あん時の餓鬼が何のようだ」
「……政宗殿のことで、話を聞かせて頂きとうござる」
「は…?話を俺とテメェが?……俺には話すことなんぞ一言もない、切るぞ」
自分に向けられた明らかな敵意。それでも引き下がるわけには行かなかった。何よりも――政宗の為に。
「お待ち下され!……政宗殿の為でござる…!!」
「……政宗様の、為だぁ…?」
これでダメならばしかたがない、幸はそう思っていた。それでも引き下がるわけには行かなかった。
沈黙は1分も続いただろうか。短い溜息が幸の耳に届いた。
「……18時、HSビル内1階の喫茶店で待つ。5分でも遅れたら帰るぞ」
「承知いたした。…忝いでござる」
ブツリと切れた電話を手に幸はどんよりと暗雲が立ち込めつつある空を見上げた。


幸が指定された店に着いたとき、小十郎は今にも降りだしそうな空を険しい顔で睨んでいた。
気付いているのかいないのか小十郎は幸のほうへ視線を向けようともせず、幸も何も言わず向かいの席へ腰掛けた。
礼儀として軽く会釈をすると幸は怯むことなく小十郎に相対する。
幸にちらりと横目で視線が投げ掛けられた。
「真田幸村と申しまする。…伊達政宗殿の……」
幸は小十郎の視線に一瞬躊躇したが意を決してそれを口にした。
「…恋人でござる」
「……餓鬼が大人からかうのも大概にしとけよ?」
「…ッ?!」
突然押し殺すように小十郎の口から紡がれた言葉は、初対面の雰囲気を見事にかき消した。
あまりの変貌振りに幸は思わず声をあげかけた。
しかし此処で引いては何も訊けない。幸はこの程度なんともないと言い聞かせ目の前の人物に立ち向かった。
「嘘ではござらぬ。某も政宗殿も、お互いに好いてあの部屋で暮らしておりまする」
「…この間の様子からじゃあ…そうは見えなかったがなぁ…」
向けられる視線は棘に塗れ、的確な言葉は幸の心を抉る。
それでも幸はその場から逃げなかった。
「ですから、そのことで貴殿に話があり申す。…政宗殿の昔のお話をお聞かせくださりませぬか。……右目のことを」
「……なんだと…?!」
かちゃん!とテーブルの上のカップが揺れた。思わず立ち上がった小十郎の脚に触れたテーブルが揺れた所為だった。
「テメェ、そのことを誰から聞いた。政宗様本人じゃねぇのは確かだろう。…あのお方が昔のことを、あの時のことを…語るはずがねえ」
「確証はありませぬが…先日、某が眼帯の理由をお伺いしたところ、機嫌を損ねてしまいました…。
 そして、小十郎殿とお会いになられてから…酷く塞がれ……魘されるようになられたのでござる。
 となれば、右目を失われる原因が片倉殿とご一緒でいられた時期にあったのではないかと…。
 間違いではありますまい?」
幸は小十郎の怒気をひしひしと感じながらも淡々と語った。
言葉を紡ぐたびにあの時の政宗の表情を思い出され、幸は目の奥がじわりと痛んだ。
しかし小十郎は今にも殴りかからんばかりの勢いで幸の胸元を掴み上げた。
「真田とかいったな。…政宗様の傷抉ってどういうつもりだ。テメェの余計な一言がなけりゃこんな事態にならなかったんじゃねぇのか、こら…!?」
「…好いている方のことを知りたいと思うのは、罪でござるか…?!
 某はただ純粋に政宗殿のことをもっと知りたいと思っただけでござる…!傷付けようなど、微塵も思いませぬ!
 ………政宗殿のあのようなお顔は……見とうないのでござる……」
小十郎の手はさらに幸の胸元を締め上げる。怒りが滲み出るような瞳は幸を射竦めた。
「テメェに何が政宗様の何がわかる!ろくに知りもしねぇで御託ばっかり並べてんじゃねぇぞ!
 あの人の抱えてるもんをてめぇも抱える覚悟もねぇくせに、ぐだぐだ言うな!!
 政宗様が悩んでる原因がてめぇだっていうなら……、俺はどんな手を使ってでも、てめぇを消すぜ…?」
ぎりぎりと締め上げられながらも幸は小十郎を見返した。
掴み上げている手を掴み返し、指先に力を篭める。
「某は!…某は政宗殿を助けたいのでござる…!
 もし某が政宗殿の痛みを全部受け止められるというのであれば、喜んで受け止めまする!
 それに……某は政宗殿のことが好きでござる。政宗殿も某を好いていると申してくださった。
 ならば嫌いだというお言葉を聴くまで、某は政宗殿の側を離れるつもりはござりませぬ。
 もし、片倉殿が邪魔されるというのであれば、こちらも……それなりの覚悟で挑みまする」
幸にはもう迷いはなかった。
自分が引き金で政宗を傷付けたというのであれば、償いは何でも負うつもりだった。

だから政宗に以前のように……笑ってもらいたかった。


「………政宗様が留学してたことぐらいは、知ってるだろう」
唐突に手を放され、幸は落ちるように席に座り込んだ。
小十郎も席に落ち着き、再び窓の外へ目を向けるとゆっくりと口を開きだした。
「言っておくが、俺は詳しくは話さねぇ。まだテメェを信用したわけでも、政宗様の恋人だと認めたわけでもじゃねぇからな。
 ……政宗様の為だ、わかったな」
「話していただけるだけでも、感謝致しまする」
小十郎の低く響く声に幸は深く頷き、居住まいを正した。
一々畏まっていて調子が狂う奴だ、と思いながら小十郎は幸に聴こえないように呟いた。
「……政宗様の留学中のことは、誰にも話さねえつもりだったんだがな…」
シュボ、と炎が立ち上り小十郎が銜えた煙草に火が灯る。ゆっくりと紫煙を吐き出しながら小十郎は此処ではないどこかを見つめていた。
幸はその様子を眺めながら、小十郎が話し出すのを待っていた。
「留学が決まったのはあのお方が15の時だ。頼れる者無しでは辛かろうと俺が付き添う事になった。
 向こうでの生活は全て順調だった。政宗様にあの土地は合ってたんだろう、生き生きとしていらした。
 ……あんなことが、起きるまでは」
小十郎の眉間にぎゅっと皺が寄せられた。その表情は怒りではなく、悲しみに満ちていた。
「些細な切欠だった。気がついていれば回避できたかもしれねえ。
 結果論でしかねぇがな…。
 政宗様が悔やんでるのは自分の目のことでも、留学したことでもねぇ。
 ………あの時、自分以外の者を……あの人を巻き込んだことにだ…」
そこまで語ると小十郎は口を閉ざし、幸も何を言えばいいのかわからず口を噤んだままだった。
二人は5分もそうしていただろうか。
「…もう、用はねぇだろうが」
「………ありがとう、ございまする…」
小十郎の声にハッとした幸は、掠れる様な声でそれだけを告げると深々と頭を垂れ、席を立った。
その背中を見送ることもせず、小十郎はとうとう泣き出し始めた秋空に目を向けた。


幸が立ち去った後、煙草のフィルタを噛み締めながら小十郎は酷く苦々しい気分を味わっていた。
もしかしたら自分があの時政宗を訪ねていなければ、思い出さずに済んだのではないか、と。
先刻は勢いで他人の所為にしたが、自分が一因を負っていることも判っていた。
そして、何より。
目の前に座る男が先程見せた瞳の光に、ほんの少しだけ……賭けてみたかったのだ。
だからこそ小十郎は、話すまいと誓っていたことを口にしたのだった。
短くなった煙草を灰皿に押し付けると、新しく取り出そうと懐から箱を出し空になっていることに気がつくとぎり、と歯を噛み締め握りつぶした。
「……厭な色の、空だな…」


恐ろしく長くなったことよりも…。
小十郎、怖い!(笑)
なんでこんなに怖い人物になったのか…自分でもわかりませぬよ、ちょっと!
……好きなんだけどなぁ、小十郎…


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