布が擦れる音を立てながら、手慣れた手つきでエプロン、そしてタイを結ぶ。昨夜アイロンをかけた白いシャツの腕をまくりあげ、僅かに乱れた髪を整えるとぱたりとロッカーの扉を静かに閉じた。
「さ…いくか」

 バックヤード、と呼ぶには少々手狭な部屋から出るとそこはすぐ店内。ロールカーテンの隙間から朝日が差し込む店内は微かに珈琲の香りが漂っていた。  小十郎はカーテンのロープを引き、現われた空を見上げる。冬の澄んだ青空が僅かな雲とともに広がっていた。
「今日もいい天気だな」
 窓を開いて流れ込んできた冷たい風に目を眇め、踵を返すといつも通りに店内の掃除を始める。ちらりと時計を見ると開店時刻の一時間前。そろそろだろう、と思った途端、裏口のドアが開いた音が耳に届いた。

 〜中略〜

 やあ、今日もいい天気だな。
 何、私が誰かだと尋ねているのかね。
 ふむ、まあ今日は機嫌がいい、教えてやらんこともないか。
 私の名は松永久秀、何、只の趣味人だよ。
 今何をしているのかと言われれば、見ての通りだよ。道を歩いている。そうではない?卿は一々説明しなければいけないのか、ふむ…仕方あるまい。もうすぐ着くから黙って見ていたまえ。
 ほら、見えてきたぞ。あれが私の今日の目的だ。
 店の作りは悪くはないぞ、私が通う店だからな。出てくるものも言うまでもないのはわかるだろう?
 店員?…あぁ、それは面白いから卿も是非見ていくといい。
 ドアもいいオーク材を使っているようでね、私は毎回この扉を開けるのが愉しみなんだよ。
「やあ、邪魔するよ」
「いらっしゃ……何しに来た」
 これがこの店のマスターの片倉小十郎。私は右目と呼んでいるがね。
どういう意味か?おいおい判るとも。
 店の作りは悪くないのだが、この椅子はいつもながら長居し辛いのだよ。クッションがいまいちでね。替えてはどうかと何度も言ったのだがね、聞き入れてはもらえないらしい。どうして頭の固い…少し値は張るがいいものなのだがね。
「見て判るだろう。喫茶店に来ているのだから、もちろん茶を所望している」
 彼はなかなか気が短い。いやはや…この店の珈琲はドリップ式だというのに、そんな気質でよくマスターが勤まるものだと私はよく言うのだが。